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  『カラーパープル』アリス・ウォーカー
『アエラ』の表紙でアリス・ウォーカー氏の胸像写真を見た。理知的な額と、きりりとした口元。生き生きしたその表情。美人である。特に目許が美しい。まっすぐな眼差しは印象的で、片目が見えていないことなど信じられないぐらいだ。射抜くように深く、それでいて優しい。

『カラーパープル』は圧倒的だった。言葉に宿る魂の美しさ、力強さにおいて、他に類を見ない作品である。「アメリカ社会の人種差別の裏側でさらになされる男女差別を告発した本」というニュアンスの評価をどこかで読んだような気もするのだけれど、これは「差別の告発」などという内容ではなく、主人公セリーをはじめとする登場人物の一人一人が、人間性からの疎外という複雑な迷路から脱出して、生命をつつましく祝福できる場所へ回帰するまでのスリリングな記録だ。迷路には差別や偏見もあるけれども、それ以外にもさまざまな迷いや苦しみや憎しみが錯綜する。

主人公のセリーはとある暴力のはびこる黒人の家庭で育つ。彼女は10代になったばかりの頃、父親にレイプされて妊娠し、2人の子供を産んだあげく、子供を産めない体になってしまう。

やもめのミスター**は、彼女に子供たちの世話をさせる目的で、セリーの父親からセリーを譲り受ける。セリーは自分とは幾らも歳の違わない子供たちの身の回りの世話を何もかも押しつけられ、夫に虐げられ、こき使われ、ベルトで殴られる日々を過ごす。それでも自分には何も価値がないようにしか感じられない彼女は、抵抗もできないでおびえているばかりでいる。

ある日、ミスター**の元恋人であったシャグ・アヴェリが体を壊して運び込まれてくる。シャグは最初、嫉妬からセリーに辛くあたるが、いつか心が通い合うようになり、セリーに深い同情と共感をよせはじめる。

ミスター**は、本当はシャグと一緒になりたかったのに、土地と財産を持っていた彼の父親の許しが得られず、やむなく別の女と一緒になった。押しつけられて結婚したその女に対し、彼はみじんも愛情を抱くことはできず、シャグと別れさせられたことへの怒りを彼女への憎しみにかえて、死ぬまで虐げつづけてきた。そして後妻となったセリーにも同じ憎しみを抱き、虐待してきたのだった。

シャグのセリーに対する打ち解けた思いは、長年抱きつづけてきたわだかまりをとかし、彼女はミスター**(と自分)のしてきたことを落ち着いて振りかえるようになる。そして彼女は、ミスター**の先妻がかつて受けてきた扱い、現在セリーの受けている扱いを不当だと感じるようになる。

そんなある日、シャグは、セリーの妹ネッティから姉に当てた手紙を、ミスター**が隠し持っているのに気づき、それを彼のポケットから抜きとってセリーに手渡した。それが初めての手紙ではないことを知り、セリーとシャグはミスター**の留守中に、彼のトランクの底を探る。もう何年もの間、何通もの手紙をセリーにわからないようにしまいこんでいたことがわかり、セリーは怒りと殺意に狂わんばかりになるが、シャグになだめられ、やがてシャグと共にミスター**の家から出ていくことを決意する。

セリーの妹ネッティは、セリーの実の子供たちを引き取った夫婦に同行し、キリスト教の伝導のためにアフリカに渡るけれども、そこで出会った小さな村の人々は、共同体の外で起こっていることに目を向けようとせず、昔奴隷としてアメリカに渡ることになった祖先の兄弟たちについても真剣に思いをめぐらせようとしない。善良だが無知な彼らに対し、ネッティは歯がゆい思いを抱く。

オリンカの人たちは白人たちについても昔からの先入観のものさし以外のもので見ようとしない。白人たちは、彼らがかつて追い出した「アルビノ」の生き残りであると理解しているのだ。毛色が変わっているだけで疎外し、追放する共同体は、黒人のための理想郷などではない。ネッティは彼らの頑迷さ、偏狭さに苛立ち、無力感を覚えるようになる。

彼らは少年たちが教育を受けることには同意しても、少女たちに同じ教育を受けさせることは頑として拒みつづける。ただ一人、タシという少女だけがネッティの授業を受けるためにやってくる。彼女は村の子供たちの中で、セリーの実の娘オリヴィアのたった一人の話し相手になり、のちにオリヴィアの兄のアダムと愛し合うようになる。

タシにまつわるエピソードの中で、いまもって著者ウォーカー氏がその廃絶のために奔走しているFGM(女性性器切除)について、ごく控えめにだが触れられている。彼女は村の人たちを安心させるためにその儀式を受けることを決意する。アダムも、ネッティも彼女を思いとどまらせることはできなかった。タシは新しい考え方、一人一人を尊重するという価値観を吸収していたけれども、村の共同体のルールには従わなければならなかったのだ。

アダムは自分の体を無残に傷つけてしまったタシに対し、最初、憤りもあらわに拒絶をするが、やがてすべてを受容し、オリンカの村の若者として、顔に傷を彫り、オリンカで結婚式をあげる。

暴力と憎しみの蔓延する家庭で育ったミスター**の息子ハーボは、望む相手と一緒になりながらも、妻ソフィアへの愛情と支配欲の狭間で苦しむことになる。彼はソフィアを押さえつけ、何でもいうことをきかせたいという支配欲を克服することができず、ソフィアとの仲はぎくしゃくしてきて、彼女は家を出ていってしまう。そののちソフィアは、白人といざこざを起こし、犯罪者として捕えられ、半死半生の目に遭うことになる。

あやうく一命を取りとめたソフィアは、「市長の妻を侮辱した罪を償う」ために(市長の側の一方的ないいがかりだ。実際には侮辱されたのはソフィアの方である)、刑務所で申し渡された刑期を務める代わりとして、いざこざの相手である市長の家に使用人として入ることになる。そこは黒人と白人の歴然した上下関係が存在する世界で、彼女を雇った白人たちの、独善的でものがよく見えていない様子が、生々しく描写されている。

夫に車を買ってもらった市長夫人は、ある日のこと、車の運転をソフィアに教えてもらったお礼に、使用人になってからもう5年も会うことのできなかったソフィアの子供たちに会わせるために、家に連れていってあげようと言い出す。約束だと一泊していいという話だったのに、市長夫人は車をバックさせて走らせることができなかったため、15分後にはソフィアは彼女の車を運転して、自分の家をあとにしなければならなかった。そのあと市長夫人は何カ月もの間、ソフィアのことを恩知らずだといって腹を立てていたという。

市長の家で、ソフィアのことを心から慕っている人間が一人いる。娘のエレノア・ジェーンだ。彼女は実際にソフィアの手で育てられ、本当の母親のように思っている。ソフィアが刑期を終えて自分の家に戻ってきてからも、たった一人心を通わせた相手と信じ、何度も足を運ぶ。そんなエレノアに対し、ソフィアは言う。白人と黒人は、お互い対等になり得ない人間同士であり、心を通わせることなど不可能なのだと。ソフィアの激しい拒絶に、エレノアは打ちひしがれるけれども、彼女はあきらめない。ソフィアがエレノアの家でどんな目に遭ってきたのかを、彼女は両親から聞き出し、何が起こっていたのかを理解する。

傲慢で独善的な市長夫婦の娘が、人生のかなりの部分を彼らのために犠牲にしたソフィアとの根深い心の断絶を軽がると飛び越え、ソフィアの家族に歩み寄り、寄り添っていこうとする様子は、作品中ごくさりげなく描かれているだけだけれども、心強く希望に満ちたエピソードだと私は思う。生死に関わるような深刻な人種差別、激しい偏見、絶望的な断絶を容赦なく描きながらも、著者のウォーカー氏が、魂の深いところで人間の持つ可能性を信じているのが感ぜられる。あらゆる危機を乗り越えて、人は理解しあうことができるものなのだと。

そして、物語の終盤、さまざまな運命に翻弄された男女が一堂に会する。彼らは(ミスター**でさえも)お互いへの理解と愛に満ちた、豊かな人間関係を築きはじめている。

15 NOV '03